第77話   殿様の赤鯛釣と荘内竿 U   平成16年01月29日  

大正から昭和にかけて書かれた土屋鴎涯の戯画の中に赤鯛釣の記述が多々ある。その中に明治の中頃「石原織人」と云う釣名人がいた。この釣師は庄内磯を釣りつくして庄内の上磯を越えて笹川流れ(上磯を越えた新潟県の345号線沿い)にまで足を伸ばした。

テグスを
7本撚りに合わせ丈夫にして大赤鯛を釣り上げたと云う。処が赤鯛の引きが強烈で、竿を持ったまま真逆さまに海に引きずり込まれた。それでやっと近くの海の上に頭を出していた岩の頭に抱きついていたところ、調度良く近くに手繰舟(テグリブネ 別称磯見舟とも云う)がおったので手伝ってもらってやっとの事で大赤鯛を引き上げた。釣れたのは目の下三尺に余る大赤鯛で其の鱗の大きさは一枚が寛永通宝と同じであったと云う。これを摺形(魚拓)に取って中村吉次君(明治の名竿師)の壁に飾ってあったと書かれている。

ベテランの釣師でさえもこのような結果である。庄内竿で大物を狙う時は足場をしっかりと確認し、完全フカセの糸を的確に何度もポイントに打ち込む。糸がふけると又打ち込む。そして腰を低く構える独特のスタイルでじっと魚の当りを待つ。釣れてからのやり取りも延竿ならではのやり取りがある。長年延竿で培った技術の総てをここ一番で発揮するのである。ギリギリの処で竿をひねると鯛は反転するのでそこで竿を立てる。これを何回か繰り返すと魚が自然と浮いてくる。処がアマリにも強烈な引きに堪えきれずに海に引きづり込まれる事もしばしばであった。

この竿の扱いが出来て初めてアカダイ釣に挑戦出来るもので、この竿さばきの技術を酒井忠良氏は先代から習われ、更に釣漁師の長右衛門に教わったのだそうだ。竿の扱いを当地では「竿かざし」と云う。汐を見ることも大事であるが、この竿かざしが一流とならなければ自他共に認められる一人前の大物釣師とは云えなかったし、また成れなかったのである。